国語の長文読解力を向上させる方法

  • 2020.07.26 Sunday
  • 00:24

国語はすべての教科の基礎である、と言われます。文章を読み書きできなければ、試験問題で問われている意味も読み取れませんし、答えも正確に伝えられません。そういう意味で確かに国語はすべての教科の基礎だと言えます。

 

国語力を上げるには、語彙を増やし、文法を学び、読み書きに慣れれば良いと一般的に考えられがちです。確かにそうした学習法は国語力向上の役に立ちます。語彙力が乏しく、文章の係り受けが分からない人は文章を読み解けないからです。当塾の国語力向上ゼミでも一文の構造分解に始まり、段落ごとの論理構造の捉え方や要約技術を学んでいきます。それは、英文法を学ぶような技術的な学習方法と変わりません。しかし、技術的な知識と学習とだけで長文読解力を身につけられるわけではありません。

 

 

■国語は人の考えに触れ、思考の引き出しを増やす教科

 

説明文・意見文(コラム)・随筆(エッセイ)などの現代文を読み解くには、そこで論じられている話題に対する見識が必要となります。対比文の形で頻出される話題として、西洋と東洋との自然観やAIと人との共生などがあります。こうした概念的な話題に触れた経験がある人は筆者の考えを読み解けます。一方でこうした話題を耳にしたことも考えたこともない人は、筆者が何を言っているのか訳が分からないのではないでしょうか。筆者の考えに触れ、それを思案するには、技術的な文章力があるというだけでは対応できません。

 

では、概念的な話題に対する見識をどうしたら増やせるのか。この問いに対する答えは、作り手の主張やメッセージが込められた情報ならびに時事問題・ドキュメンタリーなどの客観的情報に普段から触れておくことです。つまり、様々な情報に対してどれだけ好奇心のアンテナを張り巡らせているかと言えます。書籍に敷居を高く感じるならば、漫画や映画でも構いません。

 

先日、小学生向けの長文読解問題でなかなかの難文に遭遇しました。イソップ童話の「北風と太陽」になぞらえて、国家による情報の扱い方と人の自由意志との関係について綴られたコラムです。(米原万里著「真昼の星空」)

 

問題文として引用されていた箇所の内容を要約すると以下の通りです。

 

人の魂の自由は、太陽のやり方ではなく北風の手口によって実現できるのではないか。北風的な情報の扱い方の例として挙げられるのが、旧ソ連の情報統制である。厳しく情報が管理されている国家において、国民はメディアが発する情報を信用せず、そうした情報と国家に抵抗し反発する中で自己の意志を確認するようになる。一方で太陽的な情報の扱い方の例として挙げられるのが、アメリカや日本のような民主主義国家で行われている情報操作である。忖度や印象操作がなされたメディアの情報により国民は気づかぬ内に誘導され、それを自己の意志と錯覚してしまう。

 

90年代のソビエト連邦崩壊を知らない小学生にとっては、理解しづらいテーマでしょう。権力礼賛・論調・反体制派・世論誘導などといった新聞の政治面で見かける語句が登場するため小難しさもあります。しかし、日常生活の中で時事問題に関心を持ったり、戦争や独裁を扱った小説や映画に触れたりすると、筆者の考えを理解できるようになります。

 

国語の長文読解は、筆者の考えに触れ未知の世界を旅する機会です。民俗学・宗教学・倫理学・教育学などの社会科学から生物学・科学技術などの自然科学に至るまで様々な分野とその知見とが文章には詰まっています。国語という教科は試験問題を解く技術を学ぶ目的で存在するのではありません。筆者の意見からその話題に関心を抱いたり問題意識を育んだりしながら自らの思考の引き出しを増やす目的で存在しているのです。そういう意味で国語はすべての教科の基礎であると言えるのかもしれません。

 

 

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菓子パン「サマー」の謎

  • 2020.07.11 Saturday
  • 16:37

前回のコラム「ホームページからは見えない、ブログから見える情報」にて予告の通り、今回のコラムは、インスタ的どうでもいい話を綴っていきます。その記念すべき?第1段はこちら↓

 

■謎の菓子パン「サマー」withモナリーちゃん♀

 

何のひねりもないフォントが謎めく「サマー」って何だ。スーパーのワゴンセールで遭遇しました。普段見かける商品ではなく、数日後にはワゴンからその姿を消していましたから、一時的に入荷された商品なのでしょう。この菓子パンは、リング状のスポンジ生地の中心にバタークリームが詰められています。「サマー」味の他に「チーズ」「ストロベリー」「コーヒー」など数種類の味があります。

 

 

■サマー味という謎

 

「チーズ」は想像するにたやすい定番の味です。「チーズ」の原材料表を確認すると、「サマー」には含まれていないチーズが生地に練りこまれているようです。

 

一方で、「サマー」味とは何を指し示しているのか、初めて耳にする風味名です。ちなみによく似た風味名として「サワー」があります。「サワー」味と言えば、酸味の効いた爽快な味です。「サワー」とすべきところを「サマー」と誤植したのでしょうか。疑いながら原材料表を確認しましたが、「サワー」味の素となりそうな材料は見当たりません。「サマー」の原材料は以下の通りです。

 

液卵(国産)・小麦粉・砂糖・植物油脂・オリゴ糖・マーガリン・膨張剤・乳化剤・香料・酸化防止剤(VE)

 

どう見ても、スポンジ生地とバタークリームの材料以外存在しません。ますます「サマー」の謎が深まります。

 

 

■外装のデザイン性が謎

 

「サマー」の外装デザインで気になるのが、旧式ウィンドウズの基本フォントにあるようなゴシック体です。フォントサイズもこれで適切な大きさなのか、なんとも言えません。リング状のパンを露出してアピールしたいのでしょうか、青色で縁取られた透明フィルムに包まれています。青色の縁とリングパンの形とが一致しているにもかかわらず、ゴシック体の「サマー」はなぜかセンターより僅かながら左に位置しています。狙い通りなのか、それとも・・・。大手製パン系の菓子パンの外装デザインとは明らかに一線を画しています。大手製パン会社は、数ある菓子パンの中から自社の商品を手にとってもらえるように、中身のパンと同様に外装のデザイン性も凝らしています。

 

ちなみに、「サマー」の青色に対して「チーズ」は黄色に彩られています。チーズだから黄色のイメージカラーを採用したのでしょうが、背景となるパン生地の色とのコントラストが低くなっています。

「チーズ」のタイトル文字がパン生地と同化気味です。そして、こちらも「サマー」同様にセンターからやや左に寄っています。このデザインは、小規模菓子メーカーが大手製パン系の菓子パンに対して差別化を図ろうとした答えなのでしょうか。私は、昭和レトロな雰囲気を漂わせているこのデザインが嫌いではありません。

 

 

■賞味期限の長さが謎

 

食品表示の名称欄には「半生菓子」と表記されています。スポンジ生地とバタークリームですから当然ですね。ところが、賞味期限欄を見て驚きました。1か月先まで大丈夫らしい。ロールケーキなどの生クリームを使用した菓子パンの賞味期限は数日から一週間くらいでしょうか。「サマー」は食品ロスの問題に対応済みとも言えます。

 

賞味期限が長い菓子パンと言えば、コモのパンが有名です。コモのパンは、商品にもよりますが1か月〜3か月くらい保存が効きます。コンビニ・スーパーはもちろん、駅や学校に置かれているパンの自動販売機でも売られています。高校生の頃の私は、お酒が入っているような風味と上質な食感の虜になり、早弁用のおやつとしてコモのパンをかばんに忍ばせていました。こんなに美味しいのにどうして3か月も日持ちするのか、当時不思議に思っていたことです。調べてみるとコモのパンは、天然酵母を長時間熟成発酵させることにより水分量が少なく酸性度が高い生地になるのだそうです。加えて、発酵の過程で糖がアルコールに転化するそうです。少ない水分量・酸性・アルコールがカビ菌を繁殖させにくい環境を作ります。なるほどパン作りは科学ですね。お酒が入っているような風味にも今更ながら納得できます。

 

さて、「サマー」の賞味期限問題に話を戻します。コモのパンのようにまさか天然酵母を発酵させていないでしょうから、日持ちの理由は食品添加剤にあるのかもしれません。原材料表に酸化防止剤(VE)と表示されています。VEとはビタミンE(トコフェロール)です。生地やバタークリームに含まれている油脂類が酸化して劣化するのを防いでくれます。VEは大豆やトウモロコシなどの種子に含まれる成分ですから、体に有害な物質ではありません。それにしても、一枚のフィルムで包んだだけの気密性が低い包装にもかかわらず1か月も日持ちするなんて「サマー」は強い。

 

 

■コラムを書いている途中で思い立った仮説

 

「サマー」についてあれこれと思考を巡らせる内にある仮説を思いつきました。食品表示を見ると品名欄にサマーリングと記載されています。味の名称だと思っていた「サマー」は全種類を総称する商品名なのではないのだろうか。つまり、「チーズ」はサマーリング「チーズ」味であり、「コーヒー」はサマーリング「コーヒー」味なのではないだろうか、という仮説です。そうすると、「サマー」はサマーリング「サマー」味とすべきではなく、サマーリング「プレーン」味とすべきなのではないでしょうか。もし、この仮説が正しければ、「チーズ」の食品表示の品名欄もサマーリングまたはサマーリングチーズと記載されているはずです。私は、冷蔵庫から「チーズ」を手に取り、食品表示ラベルを確認してみました。

 

 

品名 チーズリング

 

と記載されています。仮説はいとも簡単に覆されました。「サマー」の謎はますます深まるばかりです。ちなみに、製造しているのはカワイ製菓という会社ですが、その所在地は実家からほど近いじゃありませんか。

 

肝心の味については、賞味期限の長さに油断してまだ実食していないので分かりません。さらなる発見があったら報告します。

 

 

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ホームページからは見えない、ブログから見える情報

  • 2020.07.08 Wednesday
  • 22:00

当塾ではホームページに加えて、ブログとインスタとの3本立てで情報を発信しています。ブログでは、理科塾“コラム”と斜に構えて、真面目な話を長々と偉そうに綴っています。一方で、実験小ネタやフクロウちゃんなどの軽い話はインスタに挙げてきました。

 

しかし、どうもSNSというツールが自分にしっくりはまりません。今の時代の宣伝媒体は紙や看板ではなくSNSだ、なんて流れに乗っかろうという魂胆もありました。しかし、自分のような古いタイプの人間は、世間に迎合せず、たとえ誰からも振り向かれなくても自分の道を自分のやり方で突き進む方が性に合っています。

 

格好をつけましたが、フォロワー18人ですからね。しかも摩訶不思議なフォロワーもくっついておられます。SNSとはそういう世界らしいので、“新しい”価値観の社会勉強に研鑽させてもらっています。もっとも、フォロワーの中にはお世話になっている方やシンパシーを感じている方もいらっしゃいますから、こうした方々の投稿を引き続き楽しませてもらいます。

 

これからは理科塾コラムにインスタ的な軽いネタも時折書いていきます。

 

 

■ブログから発信される情報とホームページから発信される情報との違い

 

お店に興味を持ったり検討したりする方はホームページを閲覧します。ホームページはお店の顔であり、紙の時代でいうところのパンフレットでもありますから当然です。しかし、ホームページの情報というのは、そこに嘘はなくても当たり障りのない綺麗事で埋めつくされている場合があります。ホームページでは価格・時間・内容・場所などのスペック(数値)情報を確かめられますが、実際のお店の雰囲気やスタッフの人柄を把握しづらいものです。ホームページ上で抱いたイメージと実際に足を運んだ時に抱いたイメージとが異なっていたという経験をした人は多いのではないでしょうか。

 

一方でブログは、お店やスタッフの生の考え方や人柄が伝わりやすい情報源です。文章を書くという行為は、書く人の思考癖や信条や嗜好などをつまびらかにします。話す行為と異なり、思い立った内容を頭の中に留めて選別します。言葉の選択や語尾などの表現や文章の構成について、分かりやすく伝わるだろうか、誤解を招かないだろうか、読み手に悪い(良い)印象を与えるだろうか、などと思考を巡らせます。ゆえに文章には、自分がどのように見られたいのか、読み手をどこに誘導したいのか、というある種の思惑(バイアス)が働きます。文章の行間にはこうした紆余曲折した書き手の思惑が隠れていますから、書き手の人となりを想像できるわけです。

 

これは、文章の上手い下手に関係ありません。熟考して書かれた文章であれば、慎重で思慮深い人だと想像できます。論点が個性的な文章であれば、独特な視点を持ち合わせているユニークな人かもしれません。真面目で無難な文章ならば、実直で堅物な人でしょう。読みやすく親しみやすい文章ならば、他者目線を持った気遣いのできる人とも言えます。読みづらくマウント気味な文章ならば、そういう人の可能性があります。

 

ちなみに、このブログにもバイアスがかかっています。理科塾コラムは、コラムの表題にあるように「教育、世相、人と街…、肌で感じた小さな発見と疑問について軽い頭を絞りながら綴ります。」というコンセプトで書いています。口語体のような気楽さはなく、文章も長めです。こうしたブログスタイルに対してネット集客の専門家から駄目出しをもらいそうです。しかし、こうしたブログスタイルには狙いがあります。それは、教育に対して一定のこだわりと信条とを持っている方・この程度の文章を難なく読める方・理科塾の方針に納得できる方にお越しいただきたいというものです。

 

加えて、当塾は国語の専門塾とも謳っていますから、恥ずかしくないように誤字脱字や文法的なチェックもしています。また、内容の根拠や情報について間違いが無いように下調べしています。(後で読み返すと必ずおかしな箇所が出てきて「しまった、この下手くそ!」と自己嫌悪に陥ります。どうかお許しください。)

 

 

■求めるものはスペック情報か生の情報か

 

価格やサービスの内容や場所などのスペック情報は店を選ぶ際の重要な要素です。しかし、自分と店との相性や最終的な満足度を決定する鍵は、店の雰囲気とサービスを提供する人とにあります。ホームページに掲載されている経歴でサービスを提供する人について判断する人がいますが、人との相性や人柄は経歴で判断できるものではありません。

 

経歴をはじめ外見や家柄などで人を判断するステレオタイプな人の一例として、医療機関で働く知人から聞いた小話を思い出します。

 

小規模なクリニックに初診で訪れた老人の患者が医師に対してぶっきらぼうに質問したそうです。

老人「わしは慶應義塾大学病院で長年診てもらっているのだが、あんたはどこの大学を出ているんだ?」

医師「…東京です。」(小声で)

老人「そうじゃなくて、東京のどこの大学なんだ?」

医師「…だから、東京です。」(やや怒り気味に)

老人「えっ???わぁ〜、東大なんですか、先生。」

このやり取りを横で見ていた知人は老人の豹変ぶりに呆れたそうです。

 

 

どんな考え方を持っていて、どんな雰囲気の人なのかを知るには実際に接してみることが一番ですが、店の検討にそこまでの手間をかけられない場合は、まずブログを読んでみることをお勧めします。

 

 

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算数&数学から本質を見抜く力を育むには

  • 2020.07.05 Sunday
  • 19:10

6月16日付けのコラム「算数&数学は筋書き力で攻略する」でも述べたように、算数&数学は、計算力でも公式や解法の知識量でもなく、本質を見抜きストーリーを組み立てる言語力がものを言う教科です。今回は、本質を見抜く力について、中学受験算数と中学数学とを比較しながら考えていきます。

 

 

■同じ問題の解法でみる中学受験算数と中学数学との違い

 

以下に例として挙げるのは、中学受験算数で頻出される問題です。

何人かの子どもたちにえん筆を5本ずつ分けると15本あまり、8本ずつ分けると6本足りなくなってしまいます。えん筆は何本あるか。答えなさい。【相模女子大学中学部】

 

いわゆる過不足算の基本問題です。小学生は情報を面積図に書き込みながらこの問題を紐解いていきます。この問題のポイントは、鉛筆の分配数を変えると鉛筆の過不足数が変化する仕組みを見抜けるかという点にあります。

 

鉛筆を5本ずつ配った時と8本ずつ配った時に生ずる本数の差は、

15+6=21本となります。

 

本数の差が最終的に21本となる理由は、

子ども一人に配るごとに8−5=3本の差がつくからです。

 

これを見抜ければ、子どもの人数を求められます。

21÷3=7 子どもの人数は7人となります。

 

問題で問われているのは鉛筆の本数ですから、子どもの人数を問題文にあてはめます。

5×7+15=50または8×7−6=50

 

答え 50本 

 

 

同じ問題を中学の数学は一次方程式を用いて解きます。

求めたい鉛筆の本数をyとします。

子どもの人数が分からないので、子どもの人数をx人とします。

 

鉛筆の本数は、以下の通り2つの一次方程式で表せます。

y=5x+15とy=8xー6

 

鉛筆の本数yは同じ数なので、5x+15=8xー6 ゆえにx=7

 

xの数値を方程式に代入します。y=5×7+15 y=50

 

答え 50本

 

もちろん、どちらの解法でも答えを導けますが、2つの解法にどのような違いがあるのか、皆さんはお気づきですか?

 

中学受験算数では、「一人当たりの分配数を変えると、全体の過不足数はなぜ変化するのか?」という本質的な仕組みに焦点を当てています。小学生は、xやyなどを用いる代数を習っていませんから、方程式以外の方法でこの問題を解かなければなりません。ゆえに、問題文に書かれた事象の“なぜ”を考える必然があります。

 

対して、中学数学では、不明な数値(子どもの人数と鉛筆の本数)をxとyという変数に置き換えて数式を組み立て、一飛びで解答に辿り着いています。一次方程式y=ax+bという“代数の定型”に当てはめれば、分配数と過不足数の関係性を考えずとも機械的に解けてしまいます。5x+15=8xー6 → 3x=21 → x=21÷3 と一次方程式が変化する過程において「21÷3」の意味を考えずに解いている中学生は多いはずです。もっとも、中学受験を経験してきた、或いは地頭の良い中学生ならば、数式の意味を理解しながら解いているでしょう。

 

誤解の無いように断っておきますが、代数学は中学以降の数学で大切な単元です。代数学を用いれば、世の中の複雑な事象を数式で一般化できます。代数学は、ネット・携帯・ATMなどの身近な技術からスパコン・通信衛星・ロケットのような特殊な技術に至るまで世に溢れるデジタル技術のアルゴリズムとして私たちの暮らしを支えています。

 

 

■算数&数学の本質は意味を理解すること

 

解法を暗記したり、“型”にあてはめる解き方をしたりしていると数学的(算数的)思考力が身につきません。数学的思考力とは、算数&数学的事象を一般化したり抽象化したりして、普遍的な原理原則を見つけ出す力です。平たく言えば、“なぜ”を追究しながら規則性を見つけ、そこにどんな意味が潜んでいるのかを探る力と言えます。数学的思考は、ブラックボックスの中身を解き明かす面白さにも通じています。

 

算数&数学に対して作業的な取り組み方をしている人は、計算や学校レベルの問題を解けても、本質的な意味を理解できていません。例えば、「5÷1/3は、割る数1/3を逆数にして乗じる。すなわち、5×3=15となる。」という解き方は誰もが知っています。ところが、「5÷1/3は、なぜ5×3になるのか?」という質問に答えられる人は少ないのではないでしょうか。解き方だけを知ることとその意味までを理解することとの間には大きな隔たりがあります。

 

算数&数学は、数的事象を数式を用いて表現する一種の言語です。言語は思考する際の道具ですから、算数&数学の意味を知ることは思考の引き出しを増やし、その幅を広げます。例を挙げると数学的思考力は、ビジネスにおいてマーケティングの分析や作業工程の立案など論理的思考の基礎となるでしょう。数学的思考力を育んだ人は相関関係と因果関係を見分け、根拠に基づいた判断と行動ができるようになります。

 

 

■算数&数学の学びは“なぜの精神”を大切にしよう

 

解き方をパターン化して暗記する勉強方法に注力してきた人は、これからは次のように姿勢を改めてください。

 

〔簑衒犬帽められているメッセージをよく読み取り、そこに潜んでいるポイントを見つけ出しましょう。

知識の引き出しを総動員して、解答に辿り着くための作戦を練り上げましょう。

あとは試行錯誤しながら検証するのみです。

 

算数&数学を学ぶ時にこだわる点は、解答の○×よりも解答を導くまでの考え方です。“こうすれば解ける”ではなく、“どうして解けるのか”という視点に立って問題に向き合うと数学的思考力と成績が向上します。同時に、算数&数学の本質的な面白さにも気づける特典もついてきます。

 

 

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宿題から解放されると賢くなる!?

  • 2020.06.29 Monday
  • 19:05

コロナ休校期間中に大量の宿題を出された小中高生は多かったのではないでしょうか。休校中のまとまった時間を好きな事・普段できない事・受験勉強に充てようと企んでいた優秀な学生にとって、この宿題は水を差すような存在だったはずです。我が子が宿題をこなす姿に安堵していたのは、学習の遅れを根拠なく心配する保護者ぐらいです。今回の長期休校中の宿題に限らず、学校(特に公立学校)はなぜ宿題を生徒に課すのか、学校が意図する宿題の目的について考えていきます。

 

 

■宿題は生徒個別の状況を鑑みて課されていない

 

大前提として宿題は、生徒の学力を向上させるためのツールであるはずです。学力も習熟度も進路もまちまちな生徒が一様な内容の宿題を一律に課される実態に疑問を感じざるを得ません。公立学校の授業ではどの科目もおよそ教科書レベルで行われています。学力の高い生徒ならば、授業時間内だけで理解できるでしょう。私立校受験やスポーツ芸能芸術など明確な進路に向けて学校とは別の活動に励んでいる生徒ならば、宿題の優先順位は低くなります。一方で授業についていけない生徒にとっては、宿題は荷が重い存在でしょう。理解の及んでいない学習内容に遡り補習を受ける方が宿題に取り組むよりも有益です。つまり勉強とは、個々のレベルと進路状況によって個別に学習内容が異なる個人戦です。生徒が、宿題を何よりも優先するべきものと信じて真面目に提出しても、学力は効率良く向上しません。

 

将棋の棋士である藤井聡太七段が中学時代に「なぜ宿題をやる必要があるのか?」と先生に質問したエピソードは知られるところです。棋士の道に忙しい藤井聡太七段は、授業内で理解済みの内容を自宅学習することは時間と労力の無駄だと考えたのでしょう。結局、先生に諭された藤井くんは宿題をやることに同意したそうですが…。

 

 

■学校が宿題を一律に課す本当の目的

 

宿題に関する学校側の言い分として以下のような声が上がりそうです。

 

その日に行われた授業内容を生徒に定着させるため。

宿題を課さないと生徒は自主的に勉強をしないから。

学習のリズムをつけさせるため。etc.

 

実際のところ、自宅での復習素材として宿題にじっくり向き合い、理解の定着を図れている生徒はいかほどいるのでしょうか。多くの生徒は、宿題をこなすべきノルマと認識して理解の定着よりも提出という義務の履行に労力を注いでいるのではありませんか。先生にも、宿題を通して一人一人の習熟度を把握する余裕はありませんから、学校は提出率のチェックという形で生徒の学習を管理するようになります。つまり、生徒と学校の両者にとって宿題は、提出自体がゴールとなりがちです。宿題の提出は成績評価の材料となり、生徒は宿題というノルマにますます縛られるようになります。

 

宿題をやってこない生徒を先生が叱る理由は、生徒の習熟度向上を心配しているからなのか、それともノルマをこなさい(生意気な)態度を気に入らないからなのか、どちらにあるのでしょうか。

 

生徒全員が一致団結して同じ方向を向く。これは、物議を醸す組み体操や部活動などを筆頭として学校に響き渡るスローガンです。このスローガンの下で宿題は生徒を管理統制するためのツールとして機能し始めます。「自由な時間を与えると生徒は勉強をさぼり、遊びほうける。だから、宿題というミッションを与えて生徒の生活を管理しよう。」極端かもしれませんが、こうなると宿題は、学力向上のためという大義の下で学校への忠誠心を問う踏み絵と化します。勉強は前述したように個人戦ですから、全員が足並みを揃える必要はありません。管理統制するための宿題が生徒にもたらす効果は、勉強は作業であり強制されるものだという誤った意識の刷り込みぐらいです。

 

 

■学力向上のために宿題の作成よりも大切な工夫

 

勉強は、その必要性に迫られた時または探究心を抱いた時に取り組むと学力が向上します。強制的な作業としての宿題を嫌々こなしても学力の向上に限界があります。学校は、勉強をさぼって大変な状況を招くのも自らの責任だと生徒に教え、生徒が気づく時まで静観する忍耐を持ち合わせなければなりません。「これはやばいかも」「勉強したい」と生徒が自ら思い始めた時に具体的なアドバイスとサポートを受けられる環境を学校は整えておけばいいのです。

 

そうは言っても、「やばい」と気づいた時が絶望的に手遅れであってはいけません。空気のように勉強が生活の一部に習慣づいている生徒は学力を伸ばせますから、継続した学習リズムを築いておく必要性はあります。ただし、継続した学習リズムはノルマと化した宿題では築けません。

 

生徒を管理するための宿題を課すばかりが学校の役割ではないはずです。横浜市にある聖光学院では、職員室と廊下の壁が取り払われ、広々とした空間が創られています。これは、生徒が気軽に質問をできるようにと考えられて設計されているのだそうです。また、校舎とは別に生徒が自由に出入りできる自習室も完備されており、卒業生が使い込んだ参考書や赤本が揃えられています。卒業生が参考書や赤本に書き込んだ内容は勉強のポイントを伝えてくれるので、お古の参考書は後輩たちに重宝されているそうです。

 

教室によく貼られている“自ら学ぶ強い子に”などの標語の如く、自学自習の精神を育む場が学校です。コロナ休校時に多くの生徒と先生が学習との向き合い方に混乱しました。それは自学自習の姿勢と精神が育まれていなかったからだとも言えます。「勉強は将来の生活と社会に何をもたらすのか。大人になった自分にどんな世界を見せくれるのか。」普段の授業の中で伝える工夫が、生徒よりも先に生きる先生(私も)に課せられた職務です。

 

 

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