自由な発想はどこから生まれるの?

  • 2018.12.12 Wednesday
  • 12:15

できるといいな、山手線に代わるネオ平成時代の新路線!!「山手メトロポリタンループライン」

いえいえ、今巷でリツイートされまくっている創作路線図のことです。

 

創作路線図は、山手線30番目の新駅“高輪ゲートウェイ”の名称発表に端を発します。どうやら、この駅名に対する世間の評判が芳しくありません。山手線初のカタカナ交じりの駅名に違和感を感じるというのがその理由です。早くも駅名撤回の署名活動まで始まっているのだとか。『公募では130位だった“高輪ゲートウェイ”が採用されるのは応募者に対する背信行為だ。』というのが署名活動を始めた方の主張らしい。JR東日本が進める駅周辺の一体再開発事業の名称と相まって、“ゲートウェイ”という名称ありきの公募だったのでは、との憶測も飛び交っています。

 

駅名撤回運動をされている方々の言い分について、私も一定の理解はできます。しかしながら、駅名の是非よりも、プッと吹き出しながら感心させられたのが冒頭の「山手メトロポリタンループライン」の発想力です。

 

この創作路線図を考案したのは、友人との待ち合わせ中に暇つぶしとして考えたという大学生です。『他の山手線の駅名もカタカナ交じりになれば“高輪ゲートウェイ”という駅名に違和感がなくなるのではないか。』と彼は思い立ち、山手線29駅の名称をカタカナ交じりに変更しました。

 

創作駅名の内、私がフフッと笑ってしまったものをご紹介しましょう。“五反田セクシュアルプレイス”…西口を怪しく照らすあのネオンですね。ちなみに、東口は、池田山に鎮座する清泉女子大学と美智子妃殿下のご生家もあられた超高級住宅街が広がっています。五反田住民の名誉のために“五反田元祖ヒルズ”との駅名もありかもしれません。“巣鴨グランドマザーズ”…トゲ抜くおじいちゃんじゃなかったのね。“目白インペリアルカレッジ”…私は庶民として通いました。採用いただき光栄です!

 

日々報道される出来事やニュースには世間から是々非々の議論が巻き起こるものです。昨今は、SNSを介して誰もが気軽に主張できるようになりましたから、注目された話題はあっという間に議論の餌食になります。しかし、是とする意見と非とする意見の衝突が交わることはありません。それは、両者の意見の根底にある前提が異なるからです。

 

今回の駅名騒動について、非とする意見の前提は、『東京を代表する街を駆け抜ける山手線なんだから、安直なカタカナ語を使うべきではない。“高輪”や“芝浦”といった伝統的な地名を使うべきだ。』というところでしょうか。こうした前提は一理あると思いますが、一つの前提にこだわってしまうと新境地に踏み出せなくなってしまう弊害があります。仮に“ゲートウェイ”の違和感を取り除き、受け入れる立場をとるのならば、前提を変えてみることで新しい景色が開けるものです。

 

そういう意味で「山手メトロポリタンループライン」を思いついた大学生の発想は柔軟で面白いものです。この大学生は、小学生の頃からホームページのデザインを手掛けたり、最近では学園祭の実行委員を務めていたりするなど、常日頃からクリエイティブな発想(本人曰く妄想)を楽しんでいるそうです。これからもこの若者は、今までになかった楽しいことや新しいことを仕掛けていくことでしょう。

 

事態が膠着すること・自分の考えが親や友人の考えと折り合わないこと・解決策が見い出せないことは、誰でも経験するものです。そんな時は、自らのものの見方や考えの前提となるものを明らかにして、その前提に矛盾や誤りがないかを疑ってみることです。そうすることで、新たな視点や打開策が生まれます。小論文が苦手な人は、ありきたりで求められた正解をなぞるのではなく、前提を疑うことで発想の引き出しを増やしてみてはいかがでしょうか。

 

人が人であるために忘れてはいけないもの

  • 2019.01.18 Friday
  • 15:06

■年末年始はドラマの一挙放送目白押し

 

休みの日はこんな風に過ごしてみたい。それは朝から夜までドラマの世界に投身することです。休日の遅い朝、寝ぼけ眼をこすりながらソファにインしてテレビのリモコンをオンします。たまたま画面に映し出された懐かしいドラマのオープニングに魂が吸い寄せられます。顔も洗わず、パジャマのまま、トイレ以外はソファに体が張り付きます。第1話と第2話の合間にキッチンから食材を調達しましょう。第4話あたりから空想世界への中毒症状が見られます。アルコールも用意しましょう。第6話を過ぎたあたりには、食い散らかした飲食物の残骸が散乱しています。第8話あたりで日没を迎え、カーテンくらいは閉めなきゃと重い腰を上げます。最終話のエンディングが奏でられたら、充血した眼をこすり酒臭い息を吐きながらドラマの余韻に浸ります。脚本家にでもなったかのように「あのセリフの意味するものはこうじゃないか。」、当時の社会情勢を回顧しつつ、「現代なら展開はこうなるかな」などと批評と反省をします。一通り考え終わると、今日一日何も生産していない自分に対する嫌悪感と後悔が襲って来ます。あぁ駄目人間…。

 

 

■2018年勝手にドラマ大賞ノミネートは

 

年末の遅い朝、偶々選択したCSチャンネルで一挙放送されていたあるドラマに魂を奪われてしまいました。(ただし、掃除やら毎年年をまたぐ年賀状作りやらで忙しく、駄目人間な休日の願望は叶わず、録画して一日に1〜2本ずつ視聴しました。)ワンクールに4〜5本の最新連ドラを録画視聴しますが、2018年最大級のマイヒット作は年末年始の一挙放送でやってきました。今さら「高校教師(第1作目)」です。90年代に放映された大ヒットドラマですが、当時大学生だった私は一通り視聴したことがありませんでした。

 

主役を演ずるのは、甘いマスクで90年代女子の心を鷲掴みにした真田広之とドラマ・CM・バラエティと大活躍したアイドル女優の桜井幸子です。テーマは、大学の研究員から女子高の生物教師に転任を命じられた、真田広之演じる羽村先生と、気難しい彫刻家の父を持つ、桜井幸子演じる女子高生二宮繭(まゆ)との禁断の恋話です。

 

冬の日の朝、定期券の不正利用の疑いで駅員に呼び止められていた二宮を着任初日の羽村先生が庇ったところから、二宮の羽村先生に対する恋心が芽生えます。高校教師を腰掛けに考えていた羽村先生にとって、当初、二宮はおきゃんな生徒でしかありませんでした。その後、羽村先生は、打算的な婚約者の裏切りや大学研究室からの理不尽な排除の憂き目にあいます。絶望の縁にいた羽村先生に二宮は純粋無垢な想いを寄せ続けます。やがて羽村先生はそんな二宮に愛おしさを抱くようになります。ところが、二宮には娘に異常な性愛を抱く父親の存在が…。救いと無償の愛を求める二宮。世間の常識・二宮への愛と嫉妬・彼女の父親への憎悪の間に揺れる羽村先生。我を失った羽村先生は二宮の父親に手をかけてしまうも、娘の幸せを願った父親は自宅に火を放ち自殺に見せかけ自害します。殺人容疑をかけられた羽村先生と二宮はお互いの愛だけを携えて逃避行をするが…。以上が大まかなストーリーです。

 

 

■高校教師にみる登場人物の真理

 

いい年をしたおっさんが禁断の恋バナにキャーキャー胸を躍らせていたわけではありません。(一応、私はこの種の変態ではありませんが、一歩間違えると引かれますよね。)人間の心理をえぐるドラマには定評がある脚本家野島伸司先生の丁寧な心理描写に改めて感服させられ、“人の真理”というものについて考えさせられました。

 

高校教師に登場する人物は、それぞれ真理に基づいた行動をとっています。それは、世間の常識や既成概念による正義だけでは計りきれないものです。二宮は、父親との歪な関係に窮屈さを感じ、無償の愛を羽村先生に受け止めてもらえることで自らの居場所を求めていました。一方で、憎悪にも似た感情を父親に持ちながらも、父親を見捨てられない思いも持ち合わせています。羽村先生は、田舎の堅実な家庭で真面目に育てられた秀才という設定です。世間の常識や立場に沿って生きてきた人生が人間のエゴや浅はかさによって狂わされる中で、心に正直な振る舞いを呼び起こすことに羽村先生は葛藤します。教師という立場もこれまでの堅実な人生も捨て去り、愛する者のために社会の掟を犯します。二宮の父親は穢れなき愛に飢え、娘への依存という歪な愛の中で生きています。しかし、羽村先生に殺人の罪を着せぬようにと迷うことなく自害の道を選んだのは、娘を愛していたからこそできたことです。単純な善悪の物差しをかざして、父親を二人の仲を引き裂くヒール役と捉えることはできません。

 

 

■真理と正義の間

 

「愛するものを守ること」・「誰かに必要とされること」を欲して行動することは人の真理です。真理があって正義があります。人が、人としての行いを正し、他者を受容し、社会を健全な共同体とするためにあるのが正義です。ところが、真理なくして正義が権力をもって人を支配し始めると、人は正義の名のもとに他者を排除し、自由の奪われた社会へ突き進みます。

 

高校教師と同様に“人の真理”と言えば、国民的アニメのある名シーンを思い起こします。機動戦士ガンダムに登場するララァとアムロが敵として対峙した時の名場面です。時代の成り行きから戦いに巻き込まれてきたアムロに対してララァが言います。『なぜ、なぜなの?なぜあなたはこうも戦えるの?あなたには守る人も守るべきものもないというのに…。』戦う理由を問われて動揺するアムロは『では、ララァはなんだ?』と尋ねます。『私は、救ってくれた人のために戦っているわ。…(中略)…それは人の生きるための真理よ。』とララァは答えます。

 

ガンダムが大ヒットした時代、夕方の再放送を欠かさず視聴し、翌日はガンダムの話で同級生と盛り上がったのは小学生の頃です。当時は、モビルスーツや戦闘シーンのカッコ良さに夢中で、アムロ擁する地球連邦軍が“いい者”、ジオン軍が“悪者”という単純な二元論的構図にしか受け取れませんでした。機動戦士ガンダムは、宇宙戦争の舞台を通して人の心理を丁寧に描写した奥の深いアニメーションです。小学生の頃、上記のララァとアムロの名シーンについて全く意味が分からず、地球連邦軍にとって強敵だったララァを目の上のたんこぶのように思っていました。そう、ガンダムを描いた富野由悠季さんらが言いたかったのは、「真理こそが人の生きる道なのだ」ということだったのです。小学生には難しすぎますよね。

 

 

■自由で認め合える社会を実現するには

 

最高裁判事の経歴を持つ刑法学者の故團藤重光氏は、正解の理由を法と規則にあることに求めてはならないと説いています。『社会の実情や変化を見ずして、法と規則で決まっているから』と物事を判断することは思考停止と同じことです。何も法律のようなお堅い世界の話に限らず、日常の世界においても校則や慣習的ルールを機械的に振りかざしてしまっている場面は多く見られるのではないでしょうか。法や規則が要らないと言っているのではありません。規則は人と社会が平穏でいられる為にあるはずです。規則が規則であるために、それを頑なに守ることに、盲目的に人々が必死になることは本末転倒なのです。正義は時代や国や宗教などの立場によって普遍ではありません。行き過ぎた正義が社会を窮屈なものにしないために、人の真理を理解して知性と想像力を働かせる努力を私たちは怠ってはいけません。

 

気づける人になるために−AI時代に生き抜く力−

  • 2019.03.04 Monday
  • 14:38

近頃のスーパーでは、セルフ化・半セルフ化されたレジが見られるようになりました。私がたまに行くスーパーには、半セルフ化されたレジが並ぶ中、一台だけお釣り渡しまで店員さんが行う従来式のレジがあります。時代に逆行するひねくれ者の私は従来式のレジに並びます。というのも、このレジを担当している店員さんの接客応対がすこぶる気持ちいいからです。

 

常連と思しきおばあちゃんに何やら話しかけられると、「そうですね、おばあちゃん…今日は○○ですか?」なんて具合に自然な感じで言葉を返し、お父さんに抱っこされた幼児に見つめられると「バイバイ〜♪」とこれまた自然な笑みで見送ります。はきはきした声とにこやかな表情に「演劇志望の方なのかな」と私は勝手な想像すらしています。この店員さんの凄いところは“良く気づく”点です。重いものがあれば丈夫な袋を出してくれます。お客の両手がふさがっていれば買い物かごを荷物台まで素早く運んでくれます。支払い時に端数を合わせようと財布の中の小銭を探していると、そうしたお客の仕草を察知してお代を受け取る手のひらを出さずに待ってくれます。レジが空いていればレジへ向かいそうなお客に遠くからでも「こちらのレジへどうぞ」とサッと誘導してくれます。いずれも接客マニュアルに書いてあることかもしれませんが、自然な流れとここぞというタイミングにマニュアルを超えた技能と気持ちが感じられます。半セルフ化レジ担当の店員さんがバイト感溢れる接客対応であるのと比べても、この店員さんの素晴らしさが際立って見えます。

 

この店員さんに備わっているもの、それは、お客ひとりひとりに対する観察眼と想像力なのでしょうか(上から目線で失礼!)。レジという定点から見える景色に潜む情報を読み取り行動に繋げていく。お客の行動と心理を読み、さらにはお客がスーパーに来て帰るまでのストーリーを想像する。“気づく”とは観察して考えることから生まれます。気づける人は、仕事を楽しく行い、自ら仕事を創り出せる人になれるでしょう。

 

 

■AIが人から仕事を奪う日はやってくるのか

 

現在10代の子どもたちが社会の第一線で活躍する頃には、AIが既存の仕事の多くを人から奪うと囁かれています。明確な根拠なくメディアが煽る話を真に受けて怖がる必要はありません。そもそも思考と感情を持ち併せたアンドロイドのような“AI”は未だ存在しません。メディアが使用する“AI”という言葉は、正確に言うと情報検索・文字認識・音声認識・自然言語処理・画像認識等を行う“AI技術”を指しています。しかしながら、AI技術が日進月歩で進化していることは事実ですから、AIが人に代わって仕事を行ったり、社会の枠組みを変革したりすることは避けられないでしょう。

 

 

■AIができること−AIが学習する仕組み−

 

AIが人より優れている面は、規則的な関係性を学習認識し、データに忠実かつ大量に情報を処理することが可能な点です。AIとは、計算で表現できるものであれば学習して処理することができる、いわば演算技術です。物流倉庫のオートメーション化・自動運転技術を伴ったタクシーの効率的配車・画像認識カメラと電子マネー決裁による無人店舗・ビッグデータを分析したマーケティング・保険や金融商品の需要予測と運用分析・病巣を発見する画像診断など、物流・運輸・流通・金融・医療などの業界でAIとの親和性が高く、AIが果たす役割は増大しそうです。

 

AIに一つの処理作業を行わせるためには、膨大な教育データを作成して、これを一つずつ学習させなければなりません。これは“機械学習”と呼ばれています。AIを学習させる教育データは、何百万とか何億とか数が多ければ多いほど、AIの精度を上げられますが、教育データを設計作成するのは人間ですから大変な手間と費用がかかることになります。現在のAIブームに火をつけた“ディープラーニング”とは、教育データからAIがパターンを認識し、自律的に学習できる深層学習という技術です。ディープラーニングによりAIは加速度的に進化を遂げられるようになりました。それでもAIができることは、規則性があり計算で表現が可能な事象に限られます。

 

 

■いまだAIが到達できないこと

 

AIに不可能な点は、“常識”や“心理”など人が感覚的に持っている非論理的事象を理解することです。

 

先日とあるテレビ番組で、画像認識技術を利用して野良猫を撃退するAIロボット「ニャンニャウェイ」が紹介されていました。このロボットには、1万枚もの猫の画像を機械学習させてあります。近づく物体を猫か否か識別して、猫と判断すれば水をかけて撃退するそうです。番組では「ニャンニャウェイ」をだませるのかというテーマの下に検証実験を行いました。まず登場したのは、犬の写真です。見事に放水されず「ニャンニャウェイ」の勝利に終わりました。続いて、猫に変装した人間に反応するのかというお題で登場したのは、全身豹のコスプレに身を包んだ岩井志麻子先生です。豹が憑依したかのような動きを志麻子先生が見せると、「ニャンニャウェイ」もたまらず放水してしまいました。志麻子先生は、「私の女優生命がかかっている…」的なことをおっしゃっておりました。先生、さすがです。

 

AIの機械学習とは、限られた条件の下、統計的に事象を記憶し認識する作業です。統計的な認識ですので、「ニャンニャウェイ」は、教育画像から得た情報とカメラに映った物体が一致するか否かの作業を繰り返しているにすぎません。野良猫とは何か、目の前で不可解な動きをする女性は何を企んでいるのか、という常識や意味を「ニャンニャウェイ」が考えているわけではないのです。志麻子先生のコスプレと動きがどんなに猫らしくとも、私たちにはそれが人間(志麻子先生)であることは一目瞭然です。それは、私たちが常識や意味を理解して判断できるからです。「ニャンニャウェイ」は、今回の敗戦を受けて精度を上げてくるでしょう。しかし、AIが常識を覚え、意味を理解して行動することはありません。少なくとも私たちと子どもたちが生きている時代には。

 

 

■人間が本来持ち合わせている能力を研ぎ澄ませ

 

人は複雑な処理を一瞬にして判断できる生き物です。状況判断をして臨機応変な対応ができる、気づきと創造ができるという点では人間に分があります。物事を暗記して指示された通りに行動するだけならば、AIに任せた方が成果を期待できるでしょう。

 

「気づく力」を養うには、普段から観察する眼と「なぜ」を考える癖を身につけることが役立ちます。視点と角度を変えて物事を眺めてみると新しい景色が広がるかもしれません。勉強や運動や趣味活動の中に、あるいは何気ない生活の中にも題材は転がっています。勉強に関して言えば、一問一答的な暗記やパターンを学習するスタイルではなく、疑問を起こし自らに問うスタイルで取り組むと「気づく力」が養われます。(知識を蓄積しなくていい訳ではありません。考える基礎力として知識は必要です。)意味を考えて行動する。私たちが忘れてはいけない、そして研ぎ澄まさなければならないことです。

 

 

 

無知な自分を知ることから始まる知性

  • 2019.05.16 Thursday
  • 13:50

こーたろさんという方が投稿した以下のツイッターが話題になっています。

 

『バスで料金払うときに手帳見せて障害者の料金で払ったんだけど、後ろの老人の一言でかなり落ち込みました。自分は発達障害だから見た目は何もないんです。「最近の若者は見た目丈夫なのに嘘ついて手帳貰ってるのか。」その先は頭真っ白になって聞こ取れなかったけど悲しいですね。』(原文のまま)
 

こーたろさんは、自閉スペクトラム症とADHDを抱えており、精神障碍者保健福祉手帳3級を取得しているそうです。暴言を吐いた老人は、障碍者手帳を取得する手続きの大変さや障碍者手帳を持つ意味を知らなかったのでしょう。このツイッターのニュースを聞いて私は、古代ギリシャの哲学者プラトンによって書き起こされたソクラテスのある名言を思い浮かべました。

 

『自身が無知であることに気づいた人間は、自身が無知であることに気づかない人間よりもはるかに賢いのである。』

 

どんなに博識な人も諸事万端を知り尽くせません。“知らない”は恥ではありません。気をつけなければならないことは、無知に対して鈍感であったり、知った気になったりする態度です。知らない・分からないから疑問を抱き、調べ、考え、想像を巡らせる。無知であることに気づかぬ人は、自らの狭い見識から物事を判断するため、偏見や差別を生みます。思い込み・誤解・独りよがりな主張を正当化して、我こそが正義だと胸を張るのでしょう。

 

このソクラテスの名言を初めて耳にしたのは、私が10代の頃だったでしょうか。当時は、「相手を言いくるめたい頭でっかちな人の屁理屈」ぐらいにしか理解していませんでした。改めて、ソクラテスの名言に込められた意図を自分なりに解釈すると以下のような感じでしょうか。知を探究する欲求や活動そのものが、知性であり、理性である。探究心の出発点は、自らが無知であることを受け入れる謙虚さにあるのだと。

 

想像力のない人・意味を考えない人・自分都合で世界を捉える人・相手を敬う気持ちを捨ててしまった人…残念な人にならないために謙虚さを忘れず、探究する心を持ちましょう。